元ネタは2015/5/6(水)の話。
今更ですいません!もっと早く書きたかったのですが、体調不良で・・。
元川崎フロンターレ、現 J2カマタマーレ讃岐所属の、
5月15日(金) RNC西日本放送「every.フライデー」内の「FUN!FAN!カマタマーレ」では千葉戦ハイライト、選手インタビューが放送予定です。
毎週金曜放送!ぜひ、ご覧ください!!⇒http://t.co/3jLwFreWRE pic.twitter.com/AW3kvL4HvQ
— カマタマーレ讃岐 オフィシャル (@kamatama_kouhou) 2015, 5月 14
FW我那覇和樹が、J通算300試合出場を達成しました!
今更ですが、私の我那覇の記憶と添えて、記事を書いてみます。
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J2 第12節 横浜FC−カマタマーレ讃岐戦
第12節 2015年5月6日(水)13:00KO ニッパツ
横浜FC×カマタマーレ讃岐「J2リーグ 第12節」レポートフォト
横浜FC 1 – 2 カマタマーレ讃岐
30′ 沼田 圭悟
72′ パク テホン
76′ 我那覇 和樹
76分にはCKからFW我那覇 和樹がネットを揺らし、これが決勝点となった。
1:51くらいから、我那覇のゴールシーン。
監督コメントは以下(かなり下、2015/05/06です。)
カマタマーレ讃岐 | ニュース&トピックス | 2015年5月 アーカイブ
2015明治安田生命J2リーグ第12節 横浜FC戦の監督コメント
〇 北野 誠 監督 記者会見コメント
Q:我那覇選手の決勝ゴールについて?
「誰が決めても良いのですが、やっぱり我那覇と木島を置くことによって、横浜さんの若いセンターバックにとっては脅威だと思います。
そこの強さだったり、高さだったり、速さだったりはないかも知れませんが、しっかりプレッシャーをかけられたので、最後は我那覇が決めてくれて、木島も決められる所はあったのですが、それ以外のところで頑張ってくれて、彼等二人は本当に良く頑張ってくれたと思います」
しっかりレギュラー確保して、これからも頑張れ!
J通算300試合出場の歴史
相変わらずストイックなコメント
この試合で300試合出場を達成した我那覇。
[讃岐]J通算300試合の我那覇和樹。「これから思い出に残る試合を作りたい」 « サッカー専門新聞ELGOLAZO web版 BLOGOLA – Jリーグ練習場レポート毎日更新!
前節の横浜FC戦でJ通算300試合出場を果たした我那覇和樹。「途中JFLを経験したり、遠回りをしてしまったけど、これまでサポートをしてくれた方々のおかげ」と、記念すべき記録を達成して周囲への感謝の気持ちを語った。
我那覇の経歴については後ほど。
とはいえ、「数字にはこだわっていない」とし、ここまでの300試合で印象に残っている試合についても「特にない」と淡々と話す。「これから思い出に残るような試合を作っていければ」と、あくまでも目線は前へと向けられている。
淡々と、というところが、謙虚で控えめなガナらしい(照れてる?)。
川崎時代
※所属の数値はwikiから引用しました。
1999年 – 2008年 川崎フロンターレ
言わずもがな。
川崎第一次黄金時代を支えた、川崎史上に残るストライカーでした。
選手・スタッフプロフィール: KAWASAKI FRONTALE
2004年、現千葉の関塚監督の元、42試合で22得点と大爆発!
まだ若いFWジュニーニョと、MFマルクスとともに、恐怖のトライアングルを形成。
右45度(ガナメ)からのシュートを得意とし、ボレー、頭でも得点を取れる隙のなさ!
翌2005年、二度目のJリーグ挑戦でも、コンスタントに得点を重ね。
2006年、ついに日本代表選出!
ドイツW杯でジーコ監督率いる日本が大敗。いろいろと壊滅的打撃を受けた日本代表。
新監督イビチャ・オシムはこの機に改革を断行。
その一つが海外組偏重から国内組重視へのシフト。
そこで白羽の矢が立ったのが、この時点で日本人得点王(だったはず)の我那覇ら、
キリンチャレンジカップ2006 日本代表対トリニダード・トバゴ代表 国立競技場
新監督オシムがこの試合に選出したメンバーは驚きの13人、試合ができないじゃないか…。その後追加参集で5名、それでも計18人のメンバーしか選ばなかった。
13人(;・∀・)
いきなりオシム爺ちゃんやってくれましたね。。
マスコミなどですんごい物議を醸したのを記憶しています。
それはともかく、我那覇はその後も呼ばれ続け、川崎も右肩上がりの成長。
NEW!
・我那覇和樹(FW・川崎フロンターレなど) 2006年にオシム監督に抜擢され代表デビュー。しかし怪我やドーピング疑惑の影響で代表定着には至らなかった #daihyo #日本代表 #frontale #川崎フロンターレ pic.twitter.com/i0fsKriCOg
— サッカー日本代表紹介bot (@daihyo_soccer) 2015, 4月 13
川崎に関係した誰もが幸せだった、2007年(あ、上の写真、後ろに憲剛が)。
あの事件が。
本日5/15に22周年を迎えたJリーグと、我らが川崎フロンターレが関与した、日本サッカー史上に残る汚点。
我那覇ドーピング冤罪事件が発生。
争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
詳しくはこの本をどうぞ(知らない人には、すごくショッキングな内容になっているので、お気をつけください)。
これ、毎日スポーツニュースを追っていた、当時の私でも知らないことばかり載っていたので、かなりの衝撃をうけました。。
他にも、リンクを貼っておきます。
サッカーコラム J3 Plus+ 「我那覇ドーピング事件」とは何だったのか? (上)
※この件、もっと詳しく書きたかったのですが。何度書き直しても、川淵・青木ら黒幕と、我がクラブへの憤怒が隠せない文章にしかならなかったので、やめときます。
いや、一言だけ。
22年目のJリーグの歴史の陰には、苦しんだ人もたくさんいたことも、忘れないでほしい。
そしてJリーグよ。
我那覇にお金を返せ。
当時の私は。
ちんすこう募金に参加することと、
わざわざ浦和ー川崎戦 浦和美園駅から埼玉スタジアムへの道まで来ていた募金の方から、サイン入り本を買うことしかできなかった(´;ω;`)
あのとき、このブログがあれば、少しは力になれたのに・・!
この事件を境に。
完全に我那覇のサッカーキャリアはピークを越えてしまいました。
今で言えば、FC東京のFW武藤が持ってたような「持ってる男のオーラ」を、当時の我那覇は、失ってしまいました。。
そりゃ、サッカーどころじゃないもん。。
鄭大世のブレイクもあり、サッカーに集中できない環境もあり。
我那覇は川崎で出番を失い。
そして退団へ(´;ω;`)
すまない。。
神戸時代
※ここからは他クラブの話になるため、内容が薄くなります。ご了承ください。
川崎退団後。
2009年 – 2010年 ヴィッセル神戸
選手が欲しくて欲しくてたまらない、神戸に誘われて加入。
入団後にブログ(企画?)を任されたり、神戸のエース番号13(大久保嘉人がつけてた)を任されたりと、期待されていたものの・・。
かつての輝きは取り戻せず。
2年で退団。
この時期、辛かっただろうな。。
FC琉球時代
2011年 – 2013年 FC琉球
2011年からJFLのFC琉球へ。
チーム事情でなんと2列目を任されることもありました。チームで一番上手いから?
本職であるストライカーの才能が・・もったいない・・。
三ツ沢でJFL YSCC戦があったとき。
一度観戦に行きましたが。
そこでゴール決めてくれました!
川崎サポがたくさん来ていて、我那覇の応援歌を歌っていたのを記憶しています。
今でも、川崎サポは、我那覇のことを応援しています。
そして讃岐へ
2014年 – カマタマーレ讃岐
2014年、讃岐に加入。
しかしこの年の我那覇は、イマイチだったと記憶しています。
11月に観戦した讃岐ー千葉戦でも途中出場、キレがイマイチでした。
これはやばい・・と思ってた2015年。
300試合出場達成!
よかった・・(´;∀;`)
我那覇和樹 2015 選手データ | Football LAB ~サッカーをデータで楽しむ~
2015/5/12更新の上記サイトによると、10試合出場2ゴール1アシストと、出場機会も与えられ、結果も出していますね。
残り少ないサッカー人生、我那覇が笑顔で過ごせますように。
このブログでも、できる限りのことで、バックアップしていきます。
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